アクティブ・レンジャー日記 [中部地区]
立山を開山したのは誰?熊と白鷹の伝説
2021年02月05日こんにちは。中部山岳国立公園立山管理官事務所の一ノ枝です。
「立山のいまとむかし~立山信仰と歩くアルペンルート~」と題して、立山の魅力をシリーズとして紹介しています。今回は、第2回目です。シリーズ前半は立山の昔話、つまり立山信仰を中心にとりあげていきます。
○第1回目の記事はこちら
前回、立山に関する最も古い文献として残っているのが万葉集ということを書きました。その頃から立山は、神がすむ山として崇められていることが推測できます。
さて俗に言う、立山を開山したのは誰なのでしょうか?
そのことが書かれている書物が「立山開山縁起(たてやまかいざんえんぎ)」です。
「立山開山縁起」にも様々な種類があるようですが、その中の「立山略縁起(たてやまりゃくえんぎ)」というものには次のように書かれています。
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越中の国の城主である「佐伯有若(さえき ありわか)」の息子「佐伯有頼(さえき ありより)」がいました。有頼は、父が大切にしていた白鷹をもって狩りに出かけましたが、その最中に山の方へ逃げてしまいました。探しに行った有頼は、苦労しながらも白鷹を見つけ出したところに、熊が現れ白鷹は逃げてしまいました。その後、熊が襲いかかってきたので矢を射ったところ、矢は熊の月輪に命中しましたが、絶命せず、熊が逃げていきました。有頼はその熊の血の跡を追い、立山山中で熊と白鷹を見つけました。するとその両者とも玉殿窟(たまどののいわや)に逃げ込みました。洞窟に入ると、そこに阿弥陀如来と不動明王が現れ、有頼に立山を開山するよう導きました。その後、有頼は「慈興(じこう)」上人と名のり立山を開山しました。
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その伝説が語り継がれて、現在も一般的に佐伯有頼(慈興上人)が立山を開いたとされています。
その他の説としては、狩人が開山をしたという説や、有頼の父佐伯有若が開山したという説もあるようです。(諸説あるようです)
また、熊は日本のみならず世界でも神聖な動物とされており、立山開山縁起でも、熊は立山の神か、その使いを象徴しています。
日本古来から有する山岳信仰(山に神がいるという、自然に対する畏敬の念)と外来信仰である仏教信仰とが合わさり、神仏習合となっていることが伺えます。
佐伯有頼像は、室堂ターミナル内と富山市内の呉羽山公園展望台にて見ることができます。
<室堂ターミナルに立つ佐伯有頼像>
<呉羽山展望公園 佐伯有頼像と立山連峰 2021.1.20撮影>
参考文献:立山の歴史 立山信仰の歴史[2006 富山県立山センター]
入門!立山ワールドあんない[H30 富山県立山博物館]
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