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中部地方環境事務所

アクティブ・レンジャー日記 [中部地区]

立山が出てくる最古の文学書「万葉集」

2021年01月27日
立山 一ノ枝亮輔

こんにちは。中部山岳国立公園立山管理官事務所の一ノ枝です。2021年に入り、初投稿です。

冬の時期は、現場に行ける機会が極端になくなってしまうのが立山です。(立山黒部アルペンルート、黒部峡谷鉄道の営業が11月末まで)

冬の間は、シーズン中にできなかった事務作業や春の開山に向けた準備諸々を行っています。

その中でも、立山についての魅力を発信できないかと、こんな企画を考えました!

題して、「立山のいまとむかし~立山信仰と歩くアルペンルート~」

不定期ではありますが、何回かのシリーズ編として立山の歴史を中心にご紹介をしつつ、今の国立公園との関わりについて触れていけたらと思っています。

専門家ではないため、拙い知識や文章が見受けられるかもしれませんが、僕自身も今回の企画を通し学んでいき、立山の魅力が少しでも伝われば幸いです。

第1回目の今回は、立山の景観を詠んだ万葉集の一首を紹介します。

「万葉集」は、奈良時代に歌われた日本で最古の和歌集です。

学校教育でも出てくるので、中身は知らなくても誰もが聞いたことがある言葉だと思います。

一方で、越中国守(富山)であった『大伴家持(おおともの やかもち)』が万葉集に大きく関わっていたというのはご存じでしょうか。その万葉集の中で、立山について歌った短歌があります。立山という言葉が出て来る中では最も古く、天平19年(747)に「立山の賦」と題して発表されました。

「立山に降りおける雪を常夏に見れどもあかず神からならし」

「真夏になっても降り積もって残っている白い立山をいつ見ても飽きないのは、立山に神がいるからだろう。」

現代の日本語に要約するとこんなニュアンスでしょうか。

ちなみに、この頃は「立山(たてやま)」ではなく、「立山(たちやま)」と呼んでいたそうです。

この歌からもわかるように、昔の人々は雄大な立山を神聖なものとしてとらえていたことが伺えます。

また、外来宗教である仏教が日本に伝来されていき、修行者などの仏教の面からも立山は大きな意味をもつ山となっていきます。

大伴家持や昔の人たちが立山をどの位置から見ていたのかわかりませんが、天気がいい日には富山の海岸線から立山連峰と海を望むことができます。

こちらは、雨晴海岸からの景色で、富山湾と立山連峰が望める有数のスポットです。この時は、うっすらと後ろに立山連峰が見えました。

<雨晴海岸にて。2020年3月撮影>


こちらは、射水市にあるみなとオアシス海王丸パークからです。新湊大橋が印象的でもあります。

<みなとオアシス海王丸パークにて。海と立山連峰>

富山市よりの海岸になると、立山連峰でも北側(毛勝三山)がよく見えます。

<浜黒崎海水浴場にて。2020年4月撮影>

富山へお越しの際には、お気に入りの立山連峰が見える場所を探されてみてはいかがでしょうか。

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