アクティブ・レンジャー日記 [中部地区]
焼岳 中尾高原ルート登山道維持管理
2021年07月21日こんにちは、中部山岳国立公園管理事務所の福澤です。
7月1日、焼岳の登山道維持管理に参加してきました。
今回の対象ルートは飛騨(岐阜県)側から焼岳に登頂する中尾高原ルートです。
昨年7月の豪雨で登山口付近が大きく崩壊し、橋も流されてしまいました。
登山シーズンがこれから始まる時期の大きな被害に登山道維持管理を行う事もできず、通行止めにするしかありませんでしたが今日は地元で長年にわたりこの登山道を守ってきた有志が集まり、2年ぶりの登山道維持管理です。
<焼岳登山口>
お馴染みの登山口ですが、この付近は割谷、黒谷、白水谷など大きな沢が集まってくる場所で下方の林道にも大量の雨水が集中し大きな崩壊が起こりました。
割谷に入ってみましたが当時の様相を残していました。
<沢筋には大雨の後が残っています>
登山口に立派な橋が新しく架けられており、多少の雨で流されないよう上部にアンカーを設置しワイヤーで繋ぎ止めが施されていました。
<架け替えられた橋>
登山道に入ると、早速上部の方で刈り払いの機械音が聞こえています。
「しばらく放っておくとこの有様!」と登山道にかかった笹藪を手際よく刈っていく顔は言葉とは裏腹に笑顔です。
<刈り払い作業>
樹林帯の登山道は、道跡自体はしっかり残っていますが、両脇からの草藪が覆い被さると道の判断がつかなくなり、酷いケースでは道はあるのに一面草むらに見えてしまうこともあるくらいです。
安全に登山して頂くために登山道の刈り払いは大事な作業の一つなのです。
<草に覆われた登山道>
緩斜面をゆっくり進むと滝見台です。
落差40mの白水の滝は、見事な姿で出迎えてくれました。
<白水の滝>
ここからしばらく急登となり、西穂高から焼岳の稜線に向かう尾根をトラバースして進みます。不思議な「鍋助横手」と有るあたりから谷側は深く落ち込んでおり、生い茂った笹で足下が見えないと危険な場所が続きます。
昔、大きな鍋を抱えこの地点を通過しようとした人が運悪く落ちてしまった、ところから付いた地名だと教えてもらいました。
当時もしっかりと刈り払いされていれば鍋助さんも落ちなかったかもしれませんね。
<登山道を踏み外すと谷側へ転落しそうな鍋助横手>
登山道を雨水が大量に流れたために以前維持管理した階段状のステップが流れ落ちたため修復します。
ステップの位置を決めるにも登りの視点、降りの視点、加重の強度、ステップのバランス・・・沢山の考察を瞬時に判断しながら慣れた様子で作業が進みます。
<ステップができました>
急登を終えると緩斜面になり、今日の目的地の秀綱神社に到着です。
飛騨の国を治めていた戦国大名三木自綱の息子である秀綱と奥方は、敗戦から再興を図るため信濃の国を目指す途中で命を落とします。諸説有りますが、秀綱は焼岳中腹の中尾峠を越えた辺りで捕らえられ、奥方は上高地の徳本峠越えの際に島々谷で、同じ悲運を辿ったそうです。
この焼岳中尾高原ルートは、かつて信州と飛騨地方を結んだ飛騨新道と呼ばれる古道で、中尾の人々は秀綱を祀って安全を祈願したようです。
<鳥居を撤廃した秀綱神社>
この秀綱神社には鳥居がありましたが、倒壊しており安全のため撤去しました。
<秀綱神社で大休憩>
順調に作業は進められ、計画した秀綱神社から焼岳小屋分岐点まで作業範囲を広げることにしました。
皆さんは口々に「毎年の維持管理登山が一回無かっただけで勝手が違うな!思うように身体が動かない」と仰っていましたが、その作業は手慣れたもので的確にスピーディーに作業されていました。
<手慣れた作業でどんどん範囲を広げました>
地元の古道に対する愛着と歴史が感じられ、子どもの頃から祖父や父親の登山道維持管理に付いて秀綱神社まで上がってきていたという微笑ましいお話や、秀綱神社の広場で煮炊きして宴会まで開いた豪傑な話など、どのお話にもこの地に暮らす方々の山に対する愛着と畏敬の念を感じることができました。
皆様、本当にご苦労様でした!
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