アクティブ・レンジャー日記 [中部地区]
#STAYHOME 乗鞍高原ってどんなとこ? ~江戸時代編~パート2
2020年04月28日こんにちは。中部山岳国立公園管理事務所の関根です。
江戸時代、大野川村の人々は、松本藩の御用杣として生活していたとご紹介しました。
杣(そま)は、きこりと言えばイメージが浮かびやすいでしょうか?
享保年間の書物には、今の乗鞍高原、白骨、沢渡、上高地などから木を切り出していたと記されているそうです。
トラックも大きな道もない江戸時代、筋骨隆々であっても松本まで大きい丸太を運び出せません。
薪や屋根を葺くための榑木(くれき)などにして、梓川に流して運んでいたそうです。
杣は、給料として一日に2~3升の米をもらえたこともあったそうです。
この頃、厳しい環境もしのげる溶岩台地の縁(大野川村)に住み、
溶岩台地上(いま民宿が立ち並ぶ場所)に麻畑や焼畑でそばも栽培していました。
乗鞍観光センターや一ノ瀬旧キャンプ場あたりも、江戸時代にはそば畑だったようです!
そば畑のイメージ(昭和後期撮影) 写真提供:齋藤佳代
また、住まいと畑が少し離れているので、畑の近くに小さな出作小屋をつくり、寝泊まりしながら耕作していたようです。
出作小屋のイメージ 2020年撮影
厳しいけれど豊かな自然の中で、住環境も工夫しながら生活してきたんですね。
日本の国立公園には、地域のストーリーがあります!
おうちで、このようなストーリーを知ってもらえると嬉しいです!
※歴史やストーリーには諸説あります。
乗鞍高原の各施設も営業を自粛しております。
詳しくは、のりくら観光協会HPをご覧ください。
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なお、この投稿は「#STAYHOME おうちで国立公園を楽しもう!プロジェクト」に基づいて実施しています。