アクティブ・レンジャー日記 [中部地区]
#STAYHOME 乗鞍高原ってどんなとこ? ~明治・大正時代編~
2020年04月30日こんにちは。中部山岳国立公園管理事務所の関根です。
乗鞍高原の江戸時代についてご紹介しましたが、続いて明治・大正時代編です!
明治時代になると松本藩の藩有林は官有林となり、大野川村は御用杣としての特権がなくなってしまいました。
林業も主な生業でしたが、蕎麦や雑穀を栽培するなど農業へシフトしてきました。
また、わらび粉の生産や狩猟も大切な副業でした。
村誌によると、明治10年には、わらび粉150俵と干しわらび50俵を産出したと記録もあります。
粉で150俵って、かなりの量ですよね!
大正時代は、乗鞍高原や上高地のある梓川沿いの地域は特に大きく変わりました。
ヒントはこれです・・・な、なんだこれ!?
これは水力発電施設なんです。
上高地では、焼岳の噴火でできた大正池から水を引き、水力発電工事が始まりました!
(上高地については、上高地ビジターセンターの「上高地への交通手段」もおもしろいです)
続いて他にも水力発電施設ができ、梓川沿いでは道の大改修が行われていきました。
車道の発達や行政による育林事業もスタートして、製炭、養蚕など商品を市街地へ出荷しやすくなり、地域の産業として根付いていったそうです。
(乗鞍高原のカラマツ植林地 2019年撮影)
時代が変わっても、産業が変わっても、
この豊かな自然の恵みに感謝しつつ、地域をつくっていきたいですね。
乗鞍高原の各施設も営業を自粛しております。
詳しくは、のりくら観光協会HPをご覧ください。
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中部山岳国立公園では、コロナウイルス感染拡大防止の政府方針を受け、当面の利用の自粛をお願いしています。早期収束に向け、みなさまのご理解ご協力をお願いいたします。
なお、この投稿は「#STAYHOME おうちで国立公園を楽しもう!プロジェクト」に基づいて実施しています。