アクティブ・レンジャー日記 [中部地区]
白山を望んで世界を考える
2013年01月15日
白山
皆様、こんにちは。
いきなりですが、こんな言葉を知っていますか?
「Think globally act locally」
最近、結構浸透してきている言葉ですが、直訳すると「大きく考え、小さく行動する」です。
この言葉は捉え方が沢山あります。
「地球規模で考え、地域で活動する。」
「世界を思って、地元から発進する」
「大きな視野を持って、地道に行動する。」
「小さな行動の積み重ねは大きな意味をもたらします。」
最近の出来事でこんな言葉が身にしみましたのでお話しさせてください。
さて、話は変わって・・・現在冬もど真ん中。
白峰にある事務所は雪に埋もれています。
白峰から白山までは、ものすごく近いのですが、白山への県道が閉まると、まるで引き裂かれた恋人のごとく、一気に白山への道のりは遠くなります。
ただただ、指をくわえて国立公園の外から真っ白な白山を見つめるだけです。
でも、指をくわえながら白山を見つめるのも悪くはありませんね。
関東出身の私にとって山と言ったら「富士山」という意識が数年前までありました。
2月で北陸に住んでまる2年。
まるで白山に恋をしてしまった様にどこへ行っても「白山」という独立した山が気になってしまいます。
その恋する白山は白峰の集落からは近すぎて、望めても上部だけしか望めません。
その為、少し小高い山に登れば見ることが出来ます。
【白峰の裏山「おまえ山」から美しい白山】
ちょっと車で西山に行くとばっちり白山を望むことが出来ます。
【西山から。白峰から車で20分くらいで行くビューポイント】
しっかりと山に登れば、きれいな白山を望めます。
【荒島岳からの白山。南側(福井県大野市)からも美しい】
【ショウガ山から。北西から白山を望む姿もこれまた美しい】
なにも白いだけが白山ではありませんね。
春・夏・秋の白山もキレイです。
【鳴谷山から。非常に近くから白山の姿を望める】
【東側の平瀬道から。】
ちょっと足を伸ばして北アルプスや御嶽山からも、連なる山々の遙か遠くに、立派な独立峰の白山を遠くに望むことが出来ます。
【北穂高岳から遠くの白山を望む。手前は笠ヶ岳、錫杖岳への稜線】
能登の方からも白山を望むことが出来、船乗りは白山を見て方角等を定めていたとか・・。
私の連呼する「美しい白山」という言葉には以下のようなことが含まれます。
白山を含む国立公園は今年度で50周年を迎えましたが、白山の長い成り立ちからすると、とても小さな出来事かもしれません。
しかし、その小さな出来事はとても大きな意味を持ちます。
白山は国立公園に指定され続けることで、これからも永遠に守られていくでしょう。
そして、その出で立ちは人と自然の関わり方で変わって来ますが、まるっきりその姿が変わる様なことがあってはなりません。
変わる時が来るとなると、地殻変動が起きた、白山が噴火した、温暖化で白い山が見られなくなった、不法伐採で斜面が剥げた等、理由は様々だと思いますが人為的な者となると悲しいものを感じますね。
白山は高山帯の西限に当たり、地球温暖化の影響をかなり受けやすい場所と言われています。
もし、温暖化が進んだら白山で何が起こるか考えたことがありますか?
もし、白山の雪が溶けたり、高山植物がなくなったら世界はどうなるでしょうか。
深く考えていくと住む場所や資源を巡っての争いも世界のどこかで勃発・・とか、暗い事を考えてしまいます。
そもそも、「もし」という考え方は、何事に置いても想像するのは容易です。
このような事態は実際に起きていないためか、身近に感じることが出来ません。
上記の例の様に自然は、一度失ってしまうと取り返しのつかない事が沢山あります。
そのような未来の事態は、今生きている私達一人一人の心がけて回避できるかもしれません。
皆さんの生活のひとつひとつの行動が、今後の白山の姿、ひいては世界の姿に反映されていきます。
では今ある白山を残すために何をすべきか悩んでしまいますよね。
そのような時は、私の場合、自然の中に行ってみます。
自然の中に行くと「海岸が漂着ゴミだらけだった」とか、「川に生きものがまったくいなかった」など何かが見えてきます。
それに対して、何をすべきかを考えるだけでも白山、世界の自然の保護には繋がると思います。
是非、自然の中に出かけてみてください。
白山を見上げたり、登ったりする時、少しでもそういったことも思ってもらい、
よかったら白山を守る活動のも参加してもらえると嬉しいです。
※今年度末、白山国立公園パークボランティアも募集します。
そして、県道が開いたらまた美しい白山を見に行ってみてください。
【いつも感動を与えてくれてありがとう】
いきなりですが、こんな言葉を知っていますか?
「Think globally act locally」
最近、結構浸透してきている言葉ですが、直訳すると「大きく考え、小さく行動する」です。
この言葉は捉え方が沢山あります。
「地球規模で考え、地域で活動する。」
「世界を思って、地元から発進する」
「大きな視野を持って、地道に行動する。」
「小さな行動の積み重ねは大きな意味をもたらします。」
最近の出来事でこんな言葉が身にしみましたのでお話しさせてください。
さて、話は変わって・・・現在冬もど真ん中。
白峰にある事務所は雪に埋もれています。
白峰から白山までは、ものすごく近いのですが、白山への県道が閉まると、まるで引き裂かれた恋人のごとく、一気に白山への道のりは遠くなります。
ただただ、指をくわえて国立公園の外から真っ白な白山を見つめるだけです。
でも、指をくわえながら白山を見つめるのも悪くはありませんね。
関東出身の私にとって山と言ったら「富士山」という意識が数年前までありました。
2月で北陸に住んでまる2年。
まるで白山に恋をしてしまった様にどこへ行っても「白山」という独立した山が気になってしまいます。
その恋する白山は白峰の集落からは近すぎて、望めても上部だけしか望めません。
その為、少し小高い山に登れば見ることが出来ます。
【白峰の裏山「おまえ山」から美しい白山】
ちょっと車で西山に行くとばっちり白山を望むことが出来ます。
【西山から。白峰から車で20分くらいで行くビューポイント】
しっかりと山に登れば、きれいな白山を望めます。
【荒島岳からの白山。南側(福井県大野市)からも美しい】
【ショウガ山から。北西から白山を望む姿もこれまた美しい】
なにも白いだけが白山ではありませんね。
春・夏・秋の白山もキレイです。
【鳴谷山から。非常に近くから白山の姿を望める】
【東側の平瀬道から。】
ちょっと足を伸ばして北アルプスや御嶽山からも、連なる山々の遙か遠くに、立派な独立峰の白山を遠くに望むことが出来ます。
【北穂高岳から遠くの白山を望む。手前は笠ヶ岳、錫杖岳への稜線】
能登の方からも白山を望むことが出来、船乗りは白山を見て方角等を定めていたとか・・。
私の連呼する「美しい白山」という言葉には以下のようなことが含まれます。
白山を含む国立公園は今年度で50周年を迎えましたが、白山の長い成り立ちからすると、とても小さな出来事かもしれません。
しかし、その小さな出来事はとても大きな意味を持ちます。
白山は国立公園に指定され続けることで、これからも永遠に守られていくでしょう。
そして、その出で立ちは人と自然の関わり方で変わって来ますが、まるっきりその姿が変わる様なことがあってはなりません。
変わる時が来るとなると、地殻変動が起きた、白山が噴火した、温暖化で白い山が見られなくなった、不法伐採で斜面が剥げた等、理由は様々だと思いますが人為的な者となると悲しいものを感じますね。
白山は高山帯の西限に当たり、地球温暖化の影響をかなり受けやすい場所と言われています。
もし、温暖化が進んだら白山で何が起こるか考えたことがありますか?
もし、白山の雪が溶けたり、高山植物がなくなったら世界はどうなるでしょうか。
深く考えていくと住む場所や資源を巡っての争いも世界のどこかで勃発・・とか、暗い事を考えてしまいます。
そもそも、「もし」という考え方は、何事に置いても想像するのは容易です。
このような事態は実際に起きていないためか、身近に感じることが出来ません。
上記の例の様に自然は、一度失ってしまうと取り返しのつかない事が沢山あります。
そのような未来の事態は、今生きている私達一人一人の心がけて回避できるかもしれません。
皆さんの生活のひとつひとつの行動が、今後の白山の姿、ひいては世界の姿に反映されていきます。
では今ある白山を残すために何をすべきか悩んでしまいますよね。
そのような時は、私の場合、自然の中に行ってみます。
自然の中に行くと「海岸が漂着ゴミだらけだった」とか、「川に生きものがまったくいなかった」など何かが見えてきます。
それに対して、何をすべきかを考えるだけでも白山、世界の自然の保護には繋がると思います。
是非、自然の中に出かけてみてください。
白山を見上げたり、登ったりする時、少しでもそういったことも思ってもらい、
よかったら白山を守る活動のも参加してもらえると嬉しいです。
※今年度末、白山国立公園パークボランティアも募集します。
そして、県道が開いたらまた美しい白山を見に行ってみてください。
【いつも感動を与えてくれてありがとう】