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中部地方環境事務所

アクティブ・レンジャー日記 [中部地区]

受け継いでいく意義 ~愛知ターゲットに向けて~

2011年03月22日
名古屋
 生物多様性の保全は、当然のことながら1日でできるものではありませんよね。長年の積み重ねがあって、「生態系」や「種」は守られていくわけですが、その保全の条約ができるまでにも、長い道のりがあったことを皆さんは、ご存じだったでしょうか?

       

 *「名古屋議定書」「愛知ターゲット」が採択された名古屋国際会議場

 そのことを知ったのは、中部地方環境事務所が開催した勉強会でのこと。実は中部地方環境事務所では、COP10が終わって以降も、2020年までの「国連生物多様性の10年」を広めるため、「生物多様性」に関するシンポジウムや勉強会を開催しています。
 1月7日に開催された「国連生物多様性の10年キックオフ記念勉強会」では、元IUCN副会長であり、前千葉県知事の堂本暁子さんをお招きして「生物多様性 リオからなごや『COP10』、そして…」の講演をしていただきました。
 この講演のタイトルは、実は堂本さんの著書の名前。元IUCNの副会長として、生物多様性の成り立ちからを見てきた人ならではの話が展開されました。

        

 *堂本さんの講演は、COP10開催地となった愛知・名古屋市民への
  お礼の言葉で始まりました。
 
 堂本さんが副会長を務めていたIUCN(国際自然保護連合)は、1948年に創設された国際的な自然保護団体です。その成り立ちは、第二次世界大戦で使われた毒ガスでヨーロッパを中心とした世界の自然が壊されたことに遡ります。
 政府だけではない組織、ということで、政府代表とNGO、NPOそして専門家が参加してスタートし、ここからワシントン条約、ラムサール条約、ボン条約といった国際的に重要な条約の大もとが作られていきました。
 堂本さんの言葉を借りるなら、「ワシントン条約、ラムサール条約、ボン条約は、パーツの保全」。80年代に入ってから、「地球を覆う条約が必要なのではないか」、という議論が起こり、こうして「生物多様性」という考え方が出てきたそうです。
 IUCNの「生物多様性」の概念は、 生命が誕生してから40億年という時間軸を取り、エネルギーの循環、水の循環など、地球上のあらゆる自然の循環を考えるダイナミックなものです。
また、IUCNは、レッドリストを出し、絶滅していく生き物を取りあげ、地球の実態も紹介していきました。
 こうしたIUCNなどの自然保護団体の要請を受け、国連環境計画は、「生物多様性条約」の準備を開始します。しかし1990年11月以降、7回に渡って開催された政府間交渉会議では、思わぬ事態が待ち受けていました。
 会議の議題となるのは、いつもIUCNの素案とはほど遠い、「遺伝子資源」「知的所有権」「バイオテクノロジー」「技術移転」「資金援助」のことばかり。1992年6月、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロで開催された国連環境開発会議で生物多様性条約が調印され、1年間で168の国と機関が署名し、1993年12月に発効しますが、国の利害がぶつかりあった結果としてまとまった合意内容は、これまで行われてきた世界の 環境会議の内容よりはるかに後退したものとなってしまったそうです。
 これについて堂本さんは、国同士の利害がぶつかった時、世界の意志をどうまとめるかは、非常に難しい問題である、と述べていました。

   

  *最後まで、熱気に包まれました勉強会。

 こうしたこれまでの事情を知り、昨年(2010年)愛知・名古屋で開催されたCOP10で、人類が自然と共生する世界を2050年までに目指す「愛知ターゲット」が採択されたことを思うと、これまでの道のりの長さを感じずにはいられません。
 著書の題名でもあり、また講演のタイトルともなった「生物多様性 リオからなごや『COP10』そして…」で、堂本さんが伝えたかったのは、「COP10を終えて、日本が世界をリードしていくために、内閣総理大臣以下日本政府が、「生物多様性を主流化していく」といった意志を示して欲しい、ということでした。これまでの歴史を目の当たりにしてきた堂本さんならではの言葉だと思いました。

 生物多様性を切り開いた人がいて、守る人がいる。そしてそれを受け継いでいくことがどれほど重要なことか…。
 受け継ぐ意義を、いま一度考えてみたいと思いました。