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中部地方環境事務所

アクティブ・レンジャー日記 [中部地区]

藤前干潟もうひとつの物語Ⅳ 平和への祈り

2009年07月16日
名古屋
 8月が近づくと、日本はある悲しみに包まれます。あの第二次世界大戦の記憶が蘇る人がいるからです。
 干潮時には底生生物が顔を出し、渡り鳥が戯れ休み、満潮時になると魚が銀鱗を踊らせる藤前干潟。生きとし生けるものが集うのどかな楽園にも、戦争の歴史が刻まれていました。
 「永徳スリップ」。海に伸びた滑走路の存在を知る人は、今どれほどいるのでしょうか?



 *永徳スリップ。遠くに見えるのが名港トリトン。

 名古屋市港区永徳町。この住所は今、名古屋市にありません。変わって付けられた地名は、名古屋市港区野跡。そう、名古屋自然保護官事務所があるところです。実はこの周辺は、第二次世界大戦時、名古屋史上に残る壊滅的な被害を受けた場所でもありました。




 *このスリットを使って、艦上攻撃機は水上に降ろされた。

 今から69年前、名古屋を初の空襲が襲います。B-25爆撃機によるドーリットル空襲が行われたのです。戦時下、アメリカ軍が襲撃目標としたのが、航空機関係の工場。その当時名古屋には、三菱発動機大幸工場(のちの三菱重工名古屋工場。跡地は現在・名古屋ドーム)と愛知航空機(現・愛知機械工業)という二つの工場がありました。
 まず狙われたのが、三菱発動機大幸工場。この攻撃は天候の関係で思うようにいかず、執拗に爆撃を繰り返したと言われています。
 続いて攻撃の的となったのが、愛知航空機の船方工場と永徳工場。愛知航空機では、海軍が誇る艦上攻撃機を製造していました。「熱田空襲」という名がつけられるほど激しかったこの空襲は、永徳工場の爆破で幕を閉じるのでした。


 *永徳スリップと赤い屋根の建物が稲永スポーツセンター。
   この周辺に愛知航空機永徳工場があったと思われる。

 藤前干潟周辺を歩いていると、海に向かって伸びる滑走路に似たコンクリートの塊が目につきます。「永徳スリップ」と呼ばれるそのスロープから、愛知航空機永徳工場で製造された艦上攻撃機「瑞雲」・「晴嵐」が水上へと降ろされていったそうです。
 永徳スリップの北側はすでに破壊され、残った南側が当時の状況を伝えるのみとなっていますが、ヒビ割れたスリップは、今、藤前干潟に生きるカニや底生生物の休息所となっています。戦争の遺物が新しく芽生えた命を支える不思議。気がつくと、空に向かって平和を祈っていました。
~COP10まであと1年と2か月~