ACTIVE RANGER

アクティブ・レンジャー日記 [中部地区]

中部地方環境事務所のアクティブ・レンジャーが、活動の様子をお伝えします。

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2021年7月21日

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2021年07月21日妙高ビジターセンター取材

妙高戸隠連山国立公園 土屋達郎

現在、立て替えのため休館中のいもり池の妙高ビジターセンターは来年4月オープンを目差して工事が進んでいます。

7月16日(金)その展示内容を外国人向けに多言語化するための事業の取材に同行しました。

日本在住の外国人ライターの皆さんに、妙高戸隠連山国立公園の見どころを実際に自分の目で見てもらって素敵な紹介文を書いて頂きましょうという趣旨です。

前日に妙高と信濃町の取材を終えており、この日は戸隠。

まずは戸隠地質化石博物館の田辺先生の解説を聞きながら鏡池~戸隠神社奥社参道~森林植物園を散策。

田辺先生のガイドではいつも新しい知識が得られます。私も今回初めて知ったことがたくさん。

戸隠を流れる「さかさ川」何が「逆さ」なのか皆さんご存じでした?

戸隠では他の川は皆南へ流れるのにさかさ川だけ信濃町方面の北へ流れているからだそうで。またこの川は信濃町に入ると「鳥居川」に名前を変え、なぜ「鳥居」なのかというと「戸隠神社奥社参道の鳥居の前から流れているから」だそうです。知らなかった~

<鏡池からスタート>

<戸隠山を映す鏡池>

<田辺先生の戸隠解説>

<奥社の森の自然を調査する方々にインタビュー>

<いつも麦わら帽子の田辺先生>

<戸隠神社がお寺だった頃は仁王門だった随神門>

<奥社までの杉の巨木の回廊>

<JRのCMで吉永小百合さんが入った樹洞>

外国人ライターの皆さんは日本の自然や文化に興味津々で、様々な質問を投げかけていましたよ。

奥社参道では樹齢400年と言われる大杉の幹に寄り添うキャサリンさんがまた

絵になること。というわけで撮影会が始まりました。キャサリンさんはライターさんなんですけどね。

<絵になるキャサリンさん>

森林植物園の後は「戸隠民俗館・戸隠忍法資料館」へ

自身が空手や剣道などの日本の武道をされているというブレンダンさんは忍術に興味津々。

お昼は皆さんは奥社入口にある「なおすけ」さんで戸隠そばを堪能。

<館長さんが対応してくださいました>

<あっ忍者!>

<手裏剣の数々>

<変装の道具も>

午後は原山竹細工店で戸隠の伝統工芸品である竹細工について取材させていただきました。キャサリンさんは大きなバスケットを買ってましたよ。

次に戸隠山を背景に蕎麦畑が映える絶景ポイントにご案内。

もうそろそろ夏そばの収穫時期で花は終わりかけでしたが、美しい景色に皆さんウットリ。

<そば畑と戸隠山>

<知られざるビューポイント>

最後は戸隠地質化石博物館へ。

この博物館は昔の柵(しがらみ)小学校の校舎を博物館に改装していて、それぞれの元教室がテーマごとの展示室になっています。

昭和初期の学校の備品等もたくさんあって珍しいものがたくさん。

田辺先生に駆け足で解説していただきました。

戸隠地質化石博物館では希望すればスタッフの方がついてくれて展示解説も行っていただけます。ウサギコース(30分)、イノシシコース(50分)、カメコース(2時間)、カタツムリコース(8時間耐久)の各コースがあり、8時間耐久コースは今まで5人達成された方がいるとか(笑)

<柵小学校の校旗にはなんとあの葉が!>

<田辺先生の展示解説>

<骨また骨>

<カメの気持ちになるキャサリンさん>

<戸隠の生き物たち>

戸隠の生き物展示室では蛇もいて、キャサリンさんがまず小さいシロマダラを手に取って遊び始めました。これだけでもびっくりでしたが、次に大きなアオダイショウと遊び始めたではないですか。蛇はどんどん手からすり抜けようとするのをそのたびに首のところを優しくつかんでを繰り返して上手に扱うこと。キャサリンさんは蛇が大好き。びっくりな1日でしたよ。

<ヘビが大好きなキャサリンさん>

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2021年07月21日焼岳 中尾高原ルート登山道維持管理

中部山岳国立公園 福澤春彦

こんにちは、中部山岳国立公園管理事務所の福澤です。

7月1日、焼岳の登山道維持管理に参加してきました。

今回の対象ルートは飛騨(岐阜県)側から焼岳に登頂する中尾高原ルートです。

昨年7月の豪雨で登山口付近が大きく崩壊し、橋も流されてしまいました。

登山シーズンがこれから始まる時期の大きな被害に登山道維持管理を行う事もできず、通行止めにするしかありませんでしたが今日は地元で長年にわたりこの登山道を守ってきた有志が集まり、2年ぶりの登山道維持管理です。

<焼岳登山口>

お馴染みの登山口ですが、この付近は割谷、黒谷、白水谷など大きな沢が集まってくる場所で下方の林道にも大量の雨水が集中し大きな崩壊が起こりました。

割谷に入ってみましたが当時の様相を残していました。

<沢筋には大雨の後が残っています>

登山口に立派な橋が新しく架けられており、多少の雨で流されないよう上部にアンカーを設置しワイヤーで繋ぎ止めが施されていました。

<架け替えられた橋>

登山道に入ると、早速上部の方で刈り払いの機械音が聞こえています。

「しばらく放っておくとこの有様!」と登山道にかかった笹藪を手際よく刈っていく顔は言葉とは裏腹に笑顔です。

<刈り払い作業>

樹林帯の登山道は、道跡自体はしっかり残っていますが、両脇からの草藪が覆い被さると道の判断がつかなくなり、酷いケースでは道はあるのに一面草むらに見えてしまうこともあるくらいです。

安全に登山して頂くために登山道の刈り払いは大事な作業の一つなのです。

<草に覆われた登山道>

緩斜面をゆっくり進むと滝見台です。

落差40mの白水の滝は、見事な姿で出迎えてくれました。

<白水の滝>

ここからしばらく急登となり、西穂高から焼岳の稜線に向かう尾根をトラバースして進みます。不思議な「鍋助横手」と有るあたりから谷側は深く落ち込んでおり、生い茂った笹で足下が見えないと危険な場所が続きます。

昔、大きな鍋を抱えこの地点を通過しようとした人が運悪く落ちてしまった、ところから付いた地名だと教えてもらいました。

当時もしっかりと刈り払いされていれば鍋助さんも落ちなかったかもしれませんね。

<登山道を踏み外すと谷側へ転落しそうな鍋助横手>

登山道を雨水が大量に流れたために以前維持管理した階段状のステップが流れ落ちたため修復します。

ステップの位置を決めるにも登りの視点、降りの視点、加重の強度、ステップのバランス・・・沢山の考察を瞬時に判断しながら慣れた様子で作業が進みます。

<ステップができました>

急登を終えると緩斜面になり、今日の目的地の秀綱神社に到着です。

飛騨の国を治めていた戦国大名三木自綱の息子である秀綱と奥方は、敗戦から再興を図るため信濃の国を目指す途中で命を落とします。諸説有りますが、秀綱は焼岳中腹の中尾峠を越えた辺りで捕らえられ、奥方は上高地の徳本峠越えの際に島々谷で、同じ悲運を辿ったそうです。

この焼岳中尾高原ルートは、かつて信州と飛騨地方を結んだ飛騨新道と呼ばれる古道で、中尾の人々は秀綱を祀って安全を祈願したようです。

<鳥居を撤廃した秀綱神社>

この秀綱神社には鳥居がありましたが、倒壊しており安全のため撤去しました。

<秀綱神社で大休憩>

順調に作業は進められ、計画した秀綱神社から焼岳小屋分岐点まで作業範囲を広げることにしました。

皆さんは口々に「毎年の維持管理登山が一回無かっただけで勝手が違うな!思うように身体が動かない」と仰っていましたが、その作業は手慣れたもので的確にスピーディーに作業されていました。

<手慣れた作業でどんどん範囲を広げました>

地元の古道に対する愛着と歴史が感じられ、子どもの頃から祖父や父親の登山道維持管理に付いて秀綱神社まで上がってきていたという微笑ましいお話や、秀綱神社の広場で煮炊きして宴会まで開いた豪傑な話など、どのお話にもこの地に暮らす方々の山に対する愛着と畏敬の念を感じることができました。

皆様、本当にご苦労様でした!

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中部山岳国立公園では、新型コロナウイルス感染拡大防止に関する政府や各自治体の方針を受け、「新しい生活様式」に沿った慎重な行動をお願いしています。中部山岳国立公園へお出かけの際には、各自治体や訪問先が発信している情報を事前にご確認いただき、3つの密の回避や手指の消毒など、感染防止対策にご協力ください。みなさまのご理解ご協力をお願いいたします。

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